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「創立者 市邨芳樹」先生と「尾道商人」との関係について

明治時代になってからの尾道は、北前船の恩恵もあったことで経済がとても潤い、第六十六国立銀行(のちの広島銀行)や住友銀行尾道支店が開設されるなど、「政治は広島、経済は尾道」といわれるほどまでに、経済力が高かったのです。また、その頃に日本銀行が開業して日本銀行券(銀貨兌換券)の発行を開始したことで、近代化していく尾道で経済や金融に強い人材の育成が必要でした。

尾道の商人たちは有志を募り、また有望な人材を集めて、明治20年(1887)に私立尾道商法講習所を開きました。その時の所長兼教諭が、尾商の創立者となる「市邨芳樹」先生でした。

市邨先生は尾道に生まれ、若干15歳で東京商法講習所(現在の一橋大学)に入学されました。卒業後は帰郷し、尾道商人たちの強いバックアップのもと、尾商を設立して校長も務めるなど50年にもわたって商業教育に励まれてきました。

その後、恩師である矢野二郎氏(一橋大学の校長で、のちの日本における商業教育の開拓者)からの依頼で名古屋に行かれ、名古屋商業学校(現在の市立名古屋商業高等学校)に赴任し、新たな地での商業教育が始まったのです。尾商だけではなく、名古屋の学校をたちあげるなどされてきた市邨先生は、現在では「女子商業教育の父」と呼ばれ敬われています。

また、トヨタ自動車が市邨先生と関係があることが最近の調査で分かってきました。市邨先生が掲げた理念「世界は我が市場」を、企業にも影響を及ぼすなど、自ら体現された実践主義の先生でした。

「尾商記念館」開館 創立130周年記念事業(2018年開館)

明治時代から続く尾道商業高等学校は、大きく分けて4つの時代があります。県下随一の商都とまでいわれる程に尾道の経済が発展したのは、尾道商人たちの存在がとても大きく、またその商人たちは地元尾道で人材育成に取り組んだことが、理由の一つでした。そしてその人材育成は、商業の現場だけではなく、学校を作ることで「商業教育」を浸透させていきました。

始まりの「尾道商業学校」、戦後の教育改革で共学となった「尾道西高等学校」、野球といえば尾商といわしめた「尾道商業高等学校」、そして現代の「尾道商業高等学校」。時代の流れに合わせた商業教育を行う学校として、現在では「尾商デパート」を始め、パソコンを使っての授業や「ビジネス実務」「校外研修」など、社会に出て即戦力になる教育を行っています。

2018年に創立130周年を迎え、記念事業として学校内に「尾商記念館」を開館致しました。尾商がどのような歴史を辿ってきたのか、4つの時代に分けて大型パネルで解説・展示しています。(事前に事務局までお問い合わせください。)





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